映画版「砂時計」の感想など(後編)
最近飲み会続きのあずきです。
映画版「砂時計」を見てから2週間ちょっと経過してしまいましたが、忘れないうちに感想を完結させておきたいと思います。
ここ最近のブログの話題が「砂時計」関連ばかりでしたが、おそらく感想などは今回でひととおり終了となると思いますので、他の話題目的で見て下さってる方はご安心下さい。(笑)
まぁ、島根に行くような機会があれば、それはそれでまたブログにいろいろ書くと思いますが、とりあえず原作版、ドラマ版、映画版の作品の感想はこれで完結です。
例によってネタバレ箇所もありますので別ページにします。
さて、前回は前編として映画鑑賞直後のレビューというか感想をまとめてみました。
その中で、全体を通して「良かった点」と「残念だった点」を書いてみましたが、今回は具体的にどのような部分がドラマ版や原作と比べて見劣りしていたか、などを書いてみたいと思います。
前回に引き続き、どうしても映画版の評価は辛口になってしまいますが、ドラマ版ファンの立場ということでご理解頂ければ、と思います。
1.幼少時代の描写の不足
映画版は原作やドラマ版と同様に、杏が大悟と出会うシーンから始まるのですがある程度原作に近い感じで、2人ともそんなに幼くない年齢になっての出会いになっています。
ここは原作とドラマ版で若干異なるシチュエーションなので、賛否両論あるかもしれませんが個人的にはドラマ版の幼少時代は大切なシーンだと思っています。
まだ、恋愛感情などよくわからない幼少の年代にこそ、大悟の「ずっと、いっしょにおっちゃるけん」という言葉のまっすぐさが光ると思うからです。
ある程度、恋愛感情や男女の気持ちなどがわかり始める思春期の年代では、恥ずかしさで素直に言葉にできない可能性もありますし、逆に恋愛を意識してそういう男らしい言葉を選ぶ場合もあります。
そういう変な気遣いやかけひきがない、素直な幼少期に飛び出したピュアな言葉だったからこそ、年齢を重ねてもずっと杏の心に残るシーンになっていたのだと思います。
映画版ではストーリーの原点となる幼少期の描写が不足していたため、その後の恋愛や人間関係に重さが感じられませんでした。
2.壊れない砂時計
最初に違和感を感じたのは、杏の母親が亡くなったときに遺影に向かって杏が投げつける砂時計が壊れないことでした。
砂時計は壊れなかったので大悟が直して杏に渡すのですが、ここは壊れた砂時計を大悟がサンドミュージアムまでわざわざ買いにいって杏に渡すからこそ、その後の杏の人生において砂時計の重みの意味が変わってくると思うので、個人的にはこの演出は許容できない感じです。
砂時計はもともと母親から買ってもらった形見という位置づけから、母親の死を乗り越える支えとなった大悟の思いの象徴として、徐々に意味が変わってきます。
しかし、映画版のように単に大悟がささっと直して、すぐ渡してしまう程度のものなら、それは単なる母親の形見でしかない存在です。
さらに、大悟が買ってきた砂時計を杏に渡すのは藤くんや椎香ちゃん(原作では藤くんのみですが)というところにも大きな意味があり、その後の4人の関係に大きく関わってきます。
大悟の杏を思いやる気持ちをその砂時計に見た、藤くんや椎香ちゃんだからこそ後に自分の恋愛感情を抑えたり気持ちと葛藤することになるわけで、中高生時代や社会人時代の伏線としての意味もあるため、このシーンがない映画版はちょっと納得いかない感じです。
3.母親の死がホラー調に演出されている
杏にとって母親の死はかなりのトラウマになるのは間違いないのですが、ドラマ版ではその幼少時代の暗い辛い思いを周りの人達に支えられながら、頑張って生きていく杏の姿に見ている側も心を動かされます。
確かに、杏にとっては思い出したくもない暗い過去ですし、幼少時代の出来事ですからすごく重く怖い印象で心に残っていることも納得できます。
しかし、劇場版はこの母の死のシーンを必要以上に怖い映像、音響で何度も登場させる点は疑問を感じました。
ある意味ちょっとしたホラー調とも言えるくらい、見ている側を怖がらせるような演出でした。
杏のトラウマとなる出来事としての演出はわかりますが、ここまで怖がらせるような表現は全く不要だと思います。
このシーンがストーリー中に何度も出てくるため、映画版は全体を通して暗く重いイメージで展開していくことになり、本来砂時計という作品が持つ爽やかでピュアなストーリーとは大きく印象が異なる結果になっています。
4.お婆ちゃんの位置づけが弱い
ドラマ版は原作よりもお婆ちゃんの意味や、杏にとっての存在もかなり大きくなっています。
杏は大悟や藤くんに外から支えてもらった反面、内からはお婆ちゃんに大きく支えてもらったという経緯があります。
お婆ちゃんは時に、東京に出てきて杏を励ましたり、他の理由で島根に帰省した際の杏をあたたかく受け入れる帰る場所だったり、さらに大悟をも厳しい言葉ながら優しく見守る存在でもあります。
そんな大切なキャラクターであるお婆ちゃんが、映画版では単に厳しいキツイ印象のお婆ちゃんとしてしか描かれていません。
この点は個人的にかなり残念でした。
5.大悟や藤くんの杏へのアプローチが急展開すぎる
このへんはまぁ、2時間という映画の時間的制約なのかもしれませんが、個人的にはけっこう気になりました。
具体的には大悟と杏が初めて一つになるシーンや、藤くんが不意に杏にキスをするシーンなどです。
大悟も藤くんもそんなに軽いキャラではなく、自分の気持ちをうちに秘めて杏を思いやる気持ちを最優先に行動を選択する、男らしいキャラです。
その彼らが杏のことを考えに考え、自分の気持ちを抑えながらその中でやっとの思いで打ち出される行動だからこそ、キスシーンなどにはすごく重い意味があります。
決して軽率な行動ではないところに見る側は心打たれるわけです。
それが、映画版ではそういうシーンがちょっと軽く見えるんですよね・・・。
と、書いていてふと、このまま数字がどこまで行くのか心配になってきました。(笑)
5.まで書きましたけど、たぶん書き始めると際限ないような気がします。
つまりここで書いた内容は映画版が残念に思えた理由のほんの一部でしかないのですが、これ以上書いてもただ長文になってしまうだけですので、このへんにしたいと思います。
先日、原作版の感想を書いたときに、目安として原作とドラマの点数を付けてみましたが、そのときは原作版を90点とするとドラマ版は150点くらいになってしまう・・・と書きました。
では、その点数を元に映画版を評価すると、残念ながら30点くらいではないかと思います。
実は正直に言うと、映画版を半分くらい見た段階で最後まで見なくてもいいかな・・・と思ってしまいました。
ただ、お金を払って見に来てるのと、全部見ないで感想を書くのは邪道だと思い、途中で席を立つことはせずに最後まで見てきました。
そしてそんな思いで見終わって、エンディングで流れる映画版の主題歌はいきものがかりの「帰りたくなったよ」、う~ん、それはなかなか意味深なタイトルだ(笑)と思いながら映画館を後にしたあずきでした。(^^)
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